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2009/01/24

カツオは死んでもダンシング。

MHK魔王放送協会:海外スレ「こいつ、動くぞ!(カツオ節的な意味で)」 - livedoor Blog(ブログ)

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 ここ数年、海外の方たちのおかげで日本のカルチャーを再発見することが多い。どうやら日本は海外から(良くも悪くも)評価されることを覚えてからというもの、それがないと精神が安定しなくなったようだ。

 その麻薬をはじめて生産したのは浮世絵だっただろうか。今はマンガやアニメが世界中で新たな中毒者を生み出しているとうわさに聞く。NO DRUGS, NO LIFE.

 動画についたコメントを見ると熱でうねうね動くカツオ節が生きているようでキモいと感じるという。俺が初めて動くカツオ節を見たときは「うわー、動く。なにこれ、楽しい。もっとカツオ節が必要だ!」と大量にカツオ節を消費して親に「かけすぎだよ」と怒られた。

 というか、カツオ節を生きていると思ったことがない。動くカツオ節を気持ち悪いと考える人と俺とでは食べ物に対する考え方が違うのかもしれない。カツオ節は本当に生きているように見えるのか改めて映像をじっくりと見ると、単細胞生物に見えてきた。何かの細菌だと言われれば信じてしまうかもしれない。それはたしかに食べたくない(キノコのことは忘れろ)。

 虫みたいに見えるというコメントがあったけれど、だんだんカツオ節が「森の妖精」のようにも見えてくるのが不思議だ(海だけど)。あの動きは『もののけ姫』に出てきても違和感がない(キノコのことを思いだすんだ)。

 ところで、食べ物に感謝するということは理解できるけれど、俺は毎回の食事で本当に食べ物にたいして感謝しているかどうかわからない。どちらかというと「食事に払ったお金」に感謝している比率の方が大きい。

 なんだか自分がひどい人間に思えてくるが(ひどくないとも思わないけれど)、目の前の食べ物が「いままで生きていた」とは思えない。というか思わないようにしている。肉を食べる時、牛豚鶏に心から感謝してしまったら俺は毎日のように泣きながら食事をしなくてはならなくなる。

 少しでも想像力を働かせてしまったなら死んでいった牛豚鶏たちの痛みがリアリティをもって襲ってきて食事どころじゃない。毎日が葬式だ。エブリデイ・レクイエム。あるいは戦争。あるいは父親の暴力にたえる少女。たぶんその食事は美味しくない。

 それがイヤでベジタリアンになったとしたら、俺はどうなるだろう。たぶん野菜にまで感謝し始めるかもしれない。もしかすると野菜を食べるたびに「どうしてあんな小さな種からこんな色をしたトマトやピーマンになるのか意味がわからない」と言い出すかもしれない。

 「理解できないものは食べない」とビタミン剤だけで生きようとするかもしれない(ビタミン剤の方が作り方わからないけれど)。どこかで線をひかなくてはならない。なにかあるたびに過剰に反応していては心身がもたない。しかし、どうやら俺はその線引きを人よりも「余分に」にひいているような気もする。

 日本の『女体盛り』も面白い、あるいはひどいものとして見られているときくけれど、その「ひどい」という意見に俺も賛成だ(やったことないけど)。やっぱり三大欲求はひとつずつこなしていくべきだと思う。食欲と性欲を一緒にしてはいけない。セックスしてる時に相手が何か食ってたらムカつくし。

 刺身のお頭付きも残酷でイヤだときく。やっぱり食べるものが生きている(生きていた)と実感するのはイヤなものなんだろう。アメリカの七面鳥の丸焼き、あのターキーとやらは俺はどう考えても残酷に見えるのだけれど、あれが幼少期のトラウマになっているから海外だとベジタリアンになる人が多いんじゃないのか、違うか。

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