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2008/10/17

虚像への恋愛、それに失恋する者たち。

◇以下に書かれているものは「リア・ディゾンさんの結婚・妊娠」を発端として好き勝手に思うまま書いた文章である。多少のまとまりは持たせているつもりだが、だんだん楽しくなってきてそんなことどうでもよくなってしまったということはご了承願いたい。


◆優れた遺伝子を持った名作達はその類稀なる容姿を武器に大衆の目の前に現れる。自ら望むものもいれば誰かに選出されることもあり、突如としてその場に降り立ってしまう者もいれば様々な努力を重ねて辿りつく者もいる。共通していることはその者にアイドルという称号が与えられ、観衆の心を揺り動かす使命を果たそうとすることに従事することだ。時にカメラの前でポーズをとり、時に七色の照明の下で歌い踊り、時に魅力的な笑顔を振りまくことで民衆の支持を得る。


◆愛していた恋人にフラれることはつらい。なぜなら相手の事情によって自分の意志とはほとんど関係なく恋愛と性行為が打ち切られるからである。人間は恋愛のためならば海をも渡る。七つの海を渡り六つの大陸を越えて、やっと一つの性行為にありつくことが出来るのである。もう少し現実的にいうと食事代やホテル代、そして相手に対する気遣いや時間である。恋人への歯の浮くようなセリフを吐く事も不可能になり、相手からの愛の言葉もまるで聞こえない。まるで自分がその恋人に対してだけ「ろう者」として生活することを強いられる。


◆相手に「フラれる」ことによって今まで恋人に対して行ってきた努力のすべてが泡のように音もなく消え去ってしまう。しかし「失恋」するということは多くの場合『恋愛』という経験、思い出、様々な後悔が残され人間としての成長を実感することは容易である。しかし今回のようなアイドルの結婚によってもたらされたファンの「失恋」は元から何も存在しなかった場所に起こっているのである。それは少数民族、消えた年金、加勢大周のような確実に存在しているはずなのに存在していないことになってしまう事例とはまったく別種のものである。


◆人気アイドルが知らない誰かと結婚をする。それが晴天の霹靂のようにファンを驚かせるような形だった場合、ファン達はまるで本当の失恋をしたような気分になるようだ。恋人に「フラれた」時のような絶望的な気分になってしまうのである。元々そのアイドルのファンが満足のいく恋愛が出来ているかどうかについてはわからないが、満足のいく擬似恋愛が機能しなくなるという点で同じであろう。いままでたしかに存在すると思っていたものが、ある日ある瞬間に消える、あるいはガラリと姿を変えてしまうのである。


◆最近、カネボウと脳科学者の茂木健一郎氏が発表した「女性は素顔の自分と化粧した自分を他人と認識する」という、なんだかイグノーベル賞候補っぽい研究(まともで立派な研究だろうけれど)を無理矢理にからませると「アイドルファンは結婚する前のアイドルと結婚した後のアイドルを他人と認識している」ということも調べてほしいくらいだ。確実に脳の恋愛を司る部分が何かしらの変化を示すだろう。


◆禁煙を成功させた者がタバコを嫌悪するように、ダイエットを成功させた者が太っている者をさげすむように、歳を重ね老いてしまった者が現代の若者を非難するように、つらい恋愛をした者はお手軽な恋愛に否定的になるようである。アイドルのファンは意識的であろうがそうでなかろうが、決して叶う事のない最もつらい恋愛に相当する経験をしてしまう。しかしタバコを吸うことも脂肪分の多い食品を食べることも数多くの日々を過ごすこともつらい恋愛を選んだこともその時は楽しかったはずなのである。


◆ファン達は自分の思い描く理想的な恋愛を妄想する。その場で妄想されているアイドルは自分の思うままに自分を愛してくれているだろう。その瞬間は紛れもなく楽しい。しかしアイドルが自分ではない誰かと結婚することでファンは現実を突きつけられ、裏切られたような気持ちになり、それが出来ちゃった結婚だった場合など『生出し』という言葉を否定的な意味で使用ながら『アイツはお手軽な性行為で生出しされる(する)ような人間のクズ』と相手に暴言を吐いてなんとか精神の安定を保とうとするのである。


◆この失恋のすべての罪が相手側にあるならば、いつまでも恋愛に対して純真無垢でいられる自分という選択肢を人は本能的に選びとる。誰だって汚れたり傷つけられたくて恋愛をするわけではない。そしてこんなことならば「もう恋なんてしない」と誓うのである。そして「なんて言わないよ絶対」とそれまでの事はなかったことにして別のアイドルに何度目かの初恋をする。その対象となるアイドルは後の妻(夫)になる人物かもしれないし、単純に別のアイドルかもしれない。


◆アイドルになるには(一部は除いて)優れた容姿を持っていることが前提条件になる。あるいは優れた才能という場合もある。もしあなたが優れた容姿や才能をもった恋人と付き合っているのなら、自分の気分まで良くなることを感じているだろう。まるで自分の存在価値まで高まっているような幸せな錯覚を楽んでいることと思う。アイドルのファンはその感覚を大勢のファンとの間で共有しながら擬似的に恋愛を楽しむことで成り立っている。


◆しかしごく一部の狂的なファンはアイドルを大勢で共有している、これは叶わぬ恋であるという事実がアイドルのことを強く思うあまり徐々に磨り減っていった結果「そのアイドルは自分とだけ恋愛している」という錯覚でつま先から髪の毛の先まで満たされてしまうようだ。ここまでいくと恐ろしいことのように思えるが、アイドルとの失恋を経験してしまうようなファンにとって、あるいは水商売の相手に入れ込んだ事のある者にとっては少なからずこの感覚が理解できるだろう。「結婚」という相手の人生と自分の人生を混ぜてしまうという価値観に近いかもしれない。


◆ゲイの男性はどうして他の男性と比べて(時に女性よりも)豊かな感性を持っているのだろうか。ゲイの男性は子供の頃から典型的な女性的アイドル(古くは松田聖子、最近なら松浦亜弥など)に成り切ることで自分の中の女性をさらに目覚めさせていく傾向があるように思える。あの女性アイドルの歌や踊りを女性が男性に向けているものとして意識すると同時に、もう一歩踏み込んで自分が女性アイドルそのものとなって男性にアプローチするという所にまで思考を滑らせていくことを意識せずに行っているのであれば、あの飛びぬけた感性は納得するしかない。


◆日本のカトリック信者は1%にも満たないといわれているが、女性アイドルに対する男性ファンの性行為への発言を考えると明らかに女性には処女性が求められており、潜在的なカトリックへの需要は内在しているように思える。同時に彼らはコンドームを使用した性行為は「真っ当な性行為」として認めようとしない。それは「仮の性行為」であり、そして「『性行為』は生命を産み出すという意志を持った時にこそ向き合うもの」という厳格な主張も持ち続けている。それを女性アイドルが守れない場合には「裏切り者」とされ断罪されるのだ。


◆しかし一方でファン(主に男性)は自身の自慰行為に対して肯定的な意見を持つ。それは圧倒的で絶対的なものである。ここで疑問に思うのはアイドルの自慰行為に対しては肯定するのだろうか、それとも否定するのだろうかということである。アイドルの性欲をないものとして考えるのであればこれも否定しなければならないように考えるが、そこは案外あっさりと容認してしまうような気がする。ここに恋人同士の性行為についての新しい価値観や宗教観を見出すことは可能なのだろうか。


◆彼らはアナルセックスについてはどう考えているのであろうか。女性の処女は完全に守られるということになるが、あまり明るい答えは返ってきそうにない。アイドルの性欲・排泄物・ムダ毛・恋愛そのものをないものとして考えるのが一般的なファンの心理であろう。自分に対してだけ興味を持ってほしい、そう考えることも恋愛のひとつの価値観だが、ファンはアイドルにそれを求め、アイドル側もその要求をファンに(もちろん性欲ではなく主に購買欲を)求めたがる。やはりアイドルとファンの関係は恋愛に近いのである。


◆ここまで書いてきて私がわかったことといえば、時折ピントがずれているのだろうなと感じながらも思いついた事を好き勝手に書くということは面白くて魅力的だというということ。そしてこれを読んだ人の時間を無駄にしてしまうのではないかという心配と、その読んだ時間の何十倍もの時間をかけて書いた自分の方が圧倒的に無駄な時間を過ごしたということである。こんな文章に付き合っていただき、なんかありがとう。



◇参考
asahi.com(朝日新聞社):脳「化粧した私は他人」 茂木さんとカネボウ研究 - サイエンス
もう恋なんてしない - Wikipediaカトリック教会 - Wikipediaアナルセックス - Wikipedia

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