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2010/10/15

まやかしの希望・ヘッドライト

絶望 - Wikipedia

社会的地位の喪失、信頼すべき相手(家族や親友など)の喪失・裏切りなどに遭遇し、未来への希望を失ったとき、人は絶望に陥る。 戦争などの極限状態では絶望が起こりやすい。平時でも、強姦や児童虐待、リストラやいじめなど辛い経験に遭遇し、絶望することがある。 絶望している際は、ひどい孤独感、世界から孤立し社会的に見捨てられたような感覚に襲われ、場合によっては自殺を考えるに至る。


人生は「絶望」から救ってくれる「希望」の光から始まります。いつまでこんな所に閉じ込められているのだろうと絶望していると、分娩室の蛍光灯の光がやってきます。

凍えるような雨の夜に迷子になり、二度と家には帰れないのだろうと絶望していると、親の車のヘッドライトがハイビームがやってくる。これはパトカーの場合もありますが。

「絶望」から救ってくれるものはいつも「光」と共にやってきます。眩いばかりの「希望」が大きな光となってこちらに向かってくる。車や電車に飛び込んで自殺してしまう人は何かを勘違いしているんじゃないでしょうか。

人は「死にたい」から自殺するわけではなくて「絶望」から抜けだしたいから「希望」に飛び込む。そして何かを勘違いして「まやかしの希望・ヘッドライト」に飛び込んでしまう。

自殺してしまうほどの「絶望」から「まやかしの希望」に向かって歩みだすと、二度と迷子になることも蛍光灯を見ることもできなくなってしまいます。

希望 - Wikipedia

ギリシャ神話では、人類の最初の女性であるパンドラが好奇心から『パンドラの箱』を開けてしまい、あらゆる悪いものが溢れ出た時に、最後に箱の底に残ったのが「希望」だったとされる(正確には、パンドラの箱に最後に残ったのは「未来を全て分かってしまう災い(前兆)」であり、それが解き放たれなかったことから、『希望が残った』としばしば表現される)。また、「希望」はキリスト教における神学的な徳の1つ。他に「信仰」と「愛」がある。


「希望」をうしなった時、まやかしの希望の光に飛び込み命を失うことがあります。「信仰」をうしなった時、まやかしの信仰に飛び込み金銭と信用を失うことがあります。「愛」をうしなった時、涙と声を枯らすことがあります。

どうしてもうしなうならば「愛」がいいとは思いませんか。まやかしの愛もその瞬間は楽しいし、その愛をうしなっても「さびしい」だけで済むのですから。

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